静かな時間 「季史さん?…寝ちゃったのか…」 この内裏で彼をよく見かける場所 滅多に人の来ない、静かなこの場所に季史はよく来ているようだった 内裏内を散歩していて、偶然彼をここで見つけた時は驚いた いつも自分が迷っている時、悩んでいる時、寂しい時… そういう時に彼はよく現れては、心の枷を取り除いてくれる 何気ない一言だったり、他愛もない会話だったり… それだけで安心して、元気になれる そんな力をくれる人… けれど季史とはいつでも会えるわけではなく、彼が現れてくれるまで待つしかない そんな時、ここで彼を見つけた 話を聞いてみると、よくここに来ているということだった それからというものあかねは、よくここへ来ていた 季史に会う為に… 静かなこの場所が気に入っている、というのもあったが 今日も、いつものように訪ねてきていた 「これ、見せたかったのにな…」 彼女の手には綺麗な桜の枝が握られている 花合わせの際に見つけたとても綺麗な一枝 「お礼も言いたかったんだけど…」 花合わせで歌を詠むということを知らなかった彼女は、それを聞きとても焦った どうすればいいだろう…と色々考えたが解決方法は見つからず… そこを季史に助けてもらった そのお礼も兼ねてここへ来てみたのだが… 季史の姿はあったものの、桜の木の根元に座って、静かに寝息をたてて眠っていた あかねは、とりあえず季史の隣に座ると、そこから見える桜を見上げた 綺麗な淡いピンクの花びらが風に揺れ静かに降りそそぐ 今日はとてもよく晴れた気持ちのいい日だ 思わず眠ってしまう気持ちも分かる 季史に見せてもらった夜桜もとても綺麗だったが、日の光の下の桜も心が落ち着く 月の光を受ける桜はとても神秘的な雰囲気を纏い、日の光を受ける桜は暖かい空気を纏う まるで季史のようだ…とあかねは思った 内裏に来て間もなくの頃、一人で心細く泣いていた時に現れた人… 夜の闇に佇む彼は、とても綺麗で、どこか神秘的な雰囲気を纏っていた 初めて見た雨の中で舞っていた彼も、綺麗だなと思ったが、それよりも強く惹かれた そんな彼から紡がれる言葉はとても優しく、とても暖かいものだった 真っ直ぐに心に入り込み、不思議な安心感を与えてくれる そして優しい笑みを見せてくれる それが何故か凄く嬉しくて、いつも心に暖かいものが広がる 「…どうしようかな…季史さん起きるまで待ってようかな…」 桜を見上げていた瞳を季史へと向ける とても気持ち良さそうに眠っていて、起こすのは可哀想だ しばらく桜と季史とを交互に見ていたが、気持ち良く降りそそぐ陽射しのせいもあってか、 あかねもうとうとし始め、眠ってしまった 小鳥のさえずりが聞こえゆっくりと季史が瞳を開けた 「眠ってしまったのか…」 季史は空を見上げた 来た時は上にあった日が、今は傾きかけている 夕刻が近いのだろう ふと肩に暖かい感触を覚える 見ると、あかねが寄りかかって寝ていた 「あかね…?」 季史はピンクの髪の少女の名を呼ぶ 驚きと愛しさ… 彼女の名を呼ぶ季史の声はとても甘く、優しい響きを含んでいる 「来ていたのか…」 少し目を細め愛しげに彼女を見る とても気持ち良さそうに眠っている 季史はあかねの髪を優しく梳いた 「ん…すえふみさ…スー」 静かに寝息を立てていた彼女がふと軽く動く 起こしてしまったかと驚いた季史だったが、すぐに寝息を立て始めたことから、寝言だと 分かり、安堵の息をもらす 彼女が自分の名を呼んでくれるだけで愛しさが込み上げてくる 自分とは違う光の中で生きる彼女… 決して相容れないとは分かっていても惹かれて止まない… 「この想いは罪…なのだろうか…」 瞳を閉じて静かに呟かれた言葉… 存在してはいけないもの… 存在しなくてはならないもの… 2人の道が交わることは… 季史は静かに瞳を開く そしてあかねを見て困った表情を見せた 「このままだと…風邪をひいてしまう…けれど…」 気持ち良さそうに眠っている彼女を無理に起こすことはしたくない どうしたものかと考えていると… 「ん…」 あかねが軽く目を擦り、静かに瞳を開けた 「あれ…?私寝ちゃって…っ!?」 半覚醒のまま瞳を開け、目の前に現れた綺麗な青年の顔を見て、あかねは真っ赤になった (ち、近い…) 彼女を起こそすべきかと迷っていた季史は、無意識に彼女の顔を覗きこむ形となっていた のだ 「起きたか…よかった…」 ふわりと微笑まれ、あかねは益々困惑すると、反射的に季史から視線を外した 「あかね?どうしたのだ?」 あかねの態度に不思議そうな表情をする季史 「な、なんでもないです…あ、あの!季史さん、これ!!」 赤くなっているのを気付かれまいと必死になって、あかねは手に握っていた桜の枝を季史 の前に差し出した 「これは…」 「花合わせの時の桜なんですけど…その…すごく綺麗だったから、季史さんにあげたいな って思って…それと、あの時は助けてくれてありがとうございました。とても綺麗な花び らをありがとうございました」 最後まで言葉を言い終えると、あかねは満面の笑みを浮かべた 次の瞬間、唇に暖かいものが触れ、そして離れた ―え…?今…― 「だいぶ冷えてしまったな…館まで送ろう」 笑みを浮かべ手を差し伸べる季史を見て、今起こった出来事に頭がついていかないあかね は一瞬反応に遅れた 「あかね?」 「っ…」 季史に名を呼ばれ、ワンテンポ遅れ、何が起こったか悟った彼女は再び真っ赤になると俯 いてしまった ―今…私…― 不意打ちで季史にキスをされたあかねは鼓動が高まるのを抑えるのに必死だった 「…あかね…?具合でも悪いのか?」 心配そうに顔を覗きこまれ、あかねは先ほどのことを思い出すと慌てて首を横に振る 「な、何でもないです…本当に大丈夫ですから!!」 そして勢いよく立ち上がった その様子に季史は再び首を傾げる ―季史さんってずるいよ…いきなりあんな…しかも平然としてるし…― 慌てている自分と反して、落ち着いている季史を見ると、何となく面白くないと感じ、彼 を軽く睨みつけた 「あかね?」 「季史さん、ずるいです…」 それだけ言うとあかねはそっぽを向いてしまった 子供っぽいな、と自分でも思ったが、そうせずにはいられなかった 「…?」 何を言われているか分からない季史は更に首を傾げた とりあえず怒っているらしい、ということを理解出来た 怒っているわけではないのだが… 「…キス…」 不思議そうにしている季史を見ると、あかねは小さく呟く 「きす…?」 季史は呟かれた彼女の言葉を繰り返す 「っ…さっきの…く、口付けのことです!」 あかねに言われ、彼女が何に対して怒っていたのかと、思い当たった季史は不安げに瞳を 揺らす 「嫌…だったか?それならもう…しない…」 「え?」 予想外の言葉にあかねは慌ててしまった 「い、嫌とかじゃないです。全然!その…嬉しかったです…」 誤解を受けたと感じたあかねは急いでその誤解を解く それを聞き、季史は安心したのか微笑んだ 彼の微笑を見たあかねはそれ以上何も言えなくなってしまい、余計なことを言うのをやめ た (やっぱりずるいな…季史さんは…) そんな考えが脳裏に浮かぶ (私ばかりドキドキしてるみたいで…) 軽く溜息をつくが、目の前の青年を見ているとそんなこともどうでも良くなってきた …というより考えるだけ無駄のような気がしてきたのだ 「いつか絶対季史さんを慌てさせてみせます」 季史を見て笑顔で答えるあかね 「何の話だ?」 「こっちの話です。早く戻りましょう」 楽しそうに歩き出すあかねを見て季史も歩き出す 光と闇… 決して相容れることのないもの… けれど、光があり、闇がある…そして闇があり、光がある 光と闇は互いに存在しなければ意味のないもの… いつか2つが分かたれることがあれば、それは互いに意味をなくすだろう… 今はただ、この時間を、瞬間を… 大切に胸にしまって歩いていこう 2つの道が分かたれ、そして交わり…再び出会うその日の為に― END…